ヘッダーイメージ







★ あなたの愛が 永遠の愛と成る為に NO1★


◇二つの自我(エゴ)◇

この話をしている 相手は
あなたではなく

あなたの内側
あなたの本性に向って
常に 話しかけている。

本当のところ
あなたの内側にある本性は
この事 全てを理解している。


だから
私が これに関連する話をすると
あなたの本性は
目を覚まし始め
あなたは 揺さ振られる。

すると 
表面の あなたは
それを防害して
一生懸命 それを理解させまいと
してしまう。

それも 色々な理由を
引っぱり出して来て。


その時 あなたは一体
何をしているのか理解してほしい。

あなたと 言うのは
外側で 色々な事をして来た
過去の体験の 積み重ねで
作り出している部分。

これは
一度掃除をして 
捨てたと思っても

また 
知らずに知らずの内に
溜まって来てしまう
埃の様なもの。


私は
そんな あなたなどに 
話しちゃいない。

私の話し相手は
あなたの 本性なのに
何故 あなたが しゃしゃり出て来る?

邪魔をしなさんな

私が 
話しかけている 
相手でもない あなたが
色々な理由を 引っぱり出して来たとしたら
これは 馬鹿げている。

あなたは
あなたと言う我を
より 強固にしているだけ
そして 一人相撲を してしまっている。


何故
自我が 出始めてしまうのか・・・?


他人や 物事によって
自分の 今迄していた事が
今迄 通りには
進まなくなってしまったり

自分の思い通りに
事が進まなくなった時
要するに 我が通らなくなった時に
自我が より強固になって来てしまう。

本当は 
この時に
あなたの 今迄してきた事に
「間違いが ありますよ」と
本性が 教えてくれている。

自分の思い通りが
通らなくなった時も 

あなたの その考えには 思いには・・・
「間違いが 有りますよ」と
折角 あなたの 本性が伝えているのに

あなたは 
それを無視する
と・・・そこに葛藤が 生じてくる。

自分の 思い通りに成らなくなればなるほど  
より強固な
"白分の思い通りにしたい"
と言う気持(自我)を 生じさせるのであって

それが 
思い通りになっていた時

あなたは 
それ自体 そんなに思い通りにしたいと
言う程 強い感情や 思いは
無かった事を見抜いてごらん。

と すると
あなたの 
白分の思い通りにしたいと 言うのは
自我を傷つけられた事への
復讐や 反発であって
あなたの 本当にしたい事じゃない。

あなたは 
何をしているのだろう。
折角の 自我を消せるチャンスを
棒にふってしまった・・・。

それどころか
それによって 
以前にもまして

自我を 
より大きく強大にして
より それを消すのが
困難に してしまっている。

それならば
それでも 決しておかしい事はない
あなたの 外側である 
いわゆる あなたが 
あなたの 内側である 本性を
色んな理由で 言いくるめて

あなたが 自我が
打ち勝って
今まで通りの 思い通りに成ったとしても

それは 
そんなに長続きはしない
それ自体に 今度は あなた自身の方で
興味がなくなってくる。

だって
あなたは それ自体に
興味があったのではなく
自我を 傷つけられた事に 対しての
復讐や 反発に 興味が 有ったのだから。

復讐やら 反発は
思い通りにした 途端に果せてしまう。

すると どうだろう・・・。

あんなに 思い通りにしたいと
思っていた事が さほどでもない・・・。
「こんな事に 躍起になっていた」とは
などと言う感覚が 浮び上ってくる。


その通り
その思い通りが 続けられるには
思い通りにさせまいとする他からの
圧力が有れば 有るほど
長く続けられ。

させまいとする圧力が
まるっきり無くなった 途端に
あなたは それに興味を 失ない始め

やがて 
それから離れて行く。

あなたは 
今まで通りに
したかった訳でもなく

自分の思い通りが
通らなくなった事に対しての
白我が傷つけられた事への
反発やら 復讐をしたかった訳でもない。

この
どちらでも 無いのに
その中に埋もれてしまって

そんな
くだらない事に
動かされていた自分を見抜ければ

それだけで
あなたは 自分自身から
解放され 自由になる。

あなたの
本性が求めているのは
この 自我からの解放だけ。

常に 
この自分自身から 解放された
状態で居たいだけ。

では 
常に この状態で居られるのには
どうしたら良いのだろう?。

自我には 
大きく区分すると
二種類ある。

意識していながら 身に付けた自我と
無意識で 身に付けてしまった自我の
二種類である。

簡単に言うと
この成長課程を受ける以前
あなたは 既に 幼ない頃から

母や 父とのふれあいの中で
あるいは 友達との触れ合いの中で
この意識をしていながら 身に付ける自我を学び始めて

そして
それを 社会に出て
さらに確固たるものに
して行ってしまう。

周囲から 
見たり聞いたりして
それまでの 過去の経験と照し合せて

そこからの 判断によって
こうしよう ああしようと
作り出して来る 自分。

そして
この成長課程を受けて
一瞬 本当の所に立つ。

その時の
ほんの一瞬だけは 真実を見る・・・。

ところが
直ぐに滑り落ちる。

そして
努力をして
また あの状態をと願う。

が・・それは中々来ない
自分で 勝手に 自分を騙し
自分を庇い。

同じ輪の中をグルグル回るだけ
そして それだけではない。

あなたの 
今立っている所には
あなた自身でさえも 気づかない

あなたの
無意識のうちに
身に付けてしまった自我がある。

そこは
あなたが
こうしよう ああしようを
身に付ける以前の

何も
したくないから しないと言う
子供の様な

ただ 
嫌なら 嫌
周囲も 何も考えずに
自我だけを強調するところに

自分が
落ちてしまっているのに
気づかないから

あの人が
言っている事だけでは
今の社会は
生きて行けないとなる。

勿論
その通り
私は そんな事なんて伝えていない。

今 
あなたがいる所なんかを
中心にしなさんな・・・。

中心なんて無いよ
どんな処に居ようと
それが 固まったりしたとしたら
間違っている・・・。

私が 
言っている所に居ると
あなた自身 思えていても

それが
固まってしまう様なものなら
あなたは そこには居ない。

あなたの
頭で
そこに 居るつもりに成っているだけだ。


本当に
そこにいるとしたら
こり固まったりしやしない。

もっと
柔軟で
もっと
柔らかくて
もっと軽い。

頭だけが そこに居たって
何も成りはしない。

1度だけ
そこを 見た事 
味わった事は 有るが
「今の私は そこには 居ません」と
言い直しなさい。

そんな 
処に居ると
又 以前の 

ああしよう こうしようで
自分を作り上げて行くところに
戻してしまう事になる。



自分が 
意識していながら
身に付けてしまった 自我以前に

自分でも
無意識のうちに,
身につけてしまった自我(条件付け)が有る。

それさえも 越えたところに
私の言う生 
真の生がある・・・。
無条件の 真白い1枚の 紙のごとく...。

この
滑り落ちてしまっている所の
無意識の内に 身に付けた
条件付けを 越えるには

人の事など 見ない事
内側の自分の 正体をつかむ事 以外に
実際 可能な事は ひとつもない。

あなたが
人を心配したり
面倒を見たりしている時

一体 何をしているのか
ハッキリ 認識する事。

あなたは 自分を巧妙に
誤魔化し続けて 
内側への探究を
ストップしてしまっている。

これで
終りなどという 地点など 無いのに
終ってしまったつもりになっている。

そんな 
あなたに
私の言うところの生など
起りはしない。

成長課程に 於いては
大きく粗く マクロに

例えば
人を 自分を高める為
満足させる為の道具としか
使っていなかったなどと言う様に
大まかに 総体的に理解した。

今度は
あなた自身で
もっとミクロに 具体的に

日常あらわれて来ている事で
自分の 内面に取り込んでしまっている
あらゆる物事の中に
踏み入って 行かなくてはならない。

自からの
日常の
生との出逢いを通して。



















★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に NO2★


◇道は 二つある◇

まず ひとつめの道
人を 無条件に 愛する事を 始める。

彼の 彼女の 此処は愛せるけど
此処は愛せない
などと 部分的にじゃない。

そんなものは
愛でも何でもない
もっと 全面的に愛す。

決して 
相手の此処を直そうとか
相手を 変えようなどとしない事。

もしも 
あなたの中に
そんな思いがあるとしたら

そんな思いが 
邪魔をして
あなたは その相手を
受け入れられないし愛せない。

そんな風に思う 
自分と言うのが あなたの内側に
しっかリ根を下ろしてしまっている。

その思いを
自分を どかさない事には
あなたは 人を受け入れられないし 愛する事など不可能だ。

その内側に
根を下ろしてしまっている
自分にとって 都合の良い様にしてからではないと
受け入れられなくなっている愛など
愛とは 言わない。

そうやらなければ
人を 親を 妻を 夫を 子供を
彼を 彼女を 受け入れられないとしたら

それは
一体どう言う愛だろう?

愛と言うのは
そんなに 自分勝手なものじゃない。

第一 自分が居たら
愛は 起ってきやしない・・。

あなたの中に
私は勉強したの しないだの
偉いだの 偉く無いだの
高いだの 低いだのと言う様な

一切の物が無かったら
何の苦しみもなく
受け入れられる。

そこには
邪魔をする何物もない
比較をする 何物もなければ

何が 入って来ても
何も起らず
真の受け入れが可能になる。

そっくり 
そのまま愛す
今の今 まるごと受け入れる。

こちらを
向かせようとも
思い通りにさせ様もなく。

今の今 
目の前にいる人を
今の今 
そっくりそのまま

1人1人 
全てに
それをして行こうとすると

やがて
問題 が葛藤が 生じてくる
その時が チャンスだ
内側を 覗き込んで
何が有るかを見てごらん。

そして
その中に入る
出来るだけ 深く
それが 何で 有るかを 見抜く。

表面的な所で 
終わらさない事
そうすると 今度は以前よりも
もっと深く もっと広く もっと高く
あなたは 愛せる様になる。


自然に 
愛情深くなり
愛が起ってくる。

そして 
又 葛藤が生じる
再び 内側を覗き込んで

今度は以前より
もっと深く
何にが 内側で起っているかを
見抜いてごらん・・・。

すると
人だけでは無く
動物や 緑や あらゆる生命までをも
受け入れ始めてくる。

もう 
人間を対象として
始まった道をも 越えた所に
あなたは来る・・・。

終りなき旅は
あらゆるものを 
受け入れる地点にまで 到達する。

これが 
受容の道で有り 愛の道だ。

あなたに
この道が合っていると
感じたならば この道なき道を
歩み始めたらいい。



そして
もうひとつの道は 全面受容の道。

始めの第一歩から
対象を限定せず
起こる事 全てを受け入れて行く。

すべての物事 
事柄 状況 人
という様に 無制限に

生の中で 出くわす 全てを
ひとつ ひとつ受け入れて行く。

そして 
問題や葛藤が
生じた時

その中に踏み入り
同じ様にできるだけ深く
それを見抜く。

この
出来るだけ深く見抜く事が
大事なのは

無意識の内に
身に付けてしまった
自我の層まで達する事が
深ければ 深いほど
可能だからだ・・・。

そして 
このどちらの道も
外側で 起こる物事とか 行動と ゴッチャにしない事。

外側の 型から
直そうなどとしない事
それ自体には 手をふれない事。

あなたが 
内側に取り込んでしまっていて
その内面で起っている物事や
葛藤の中に踏み入る事を
言っているのだから・・・。


一旦 
綺麗に 
掃除をしても
そこに 又 
埃は 溜まり出す。

それを 
そのままに しておくと
外側に 現象として
姿を 露わにする。

自分で 
そうして しまっている事に
気づきもせずに・・・
気づきもしないから
なんの努力もしない。

そして
そうなってから
ワーワー騒いで

その
外側の現象に 
手をつけ出せば 尚更 それを 悪化させてしまう。

そんな 
外側になど
構わなくていい

それは 
根源なんかじゃない。

内側で
起っている
問題や 葛藤は

それから
逃げようとしたり
目を背けたり

くだらない理由をつけたり
すれば するほど
それ自体が 
強大に見えて来てしまう。

それを
強大にしてしまっているのは

あなたの
逃げ様とする意識なんだ。

本当に 
何とかしたければ
それから逃げるのではなく

その中に 入って行き
その 原因を この目で見て
効力を失しなわせる事である。


それは
ただ 見る事だけで
自然に蒸発してしまう。

そして
自分が 知らず知らずの内に
身に付けてしまっている

思い込みによる
恐怖やら
色々なものの 根源を見抜き。

ひとつ ひとつの効力を
失なわせて 行く事によって
その内側での効力が
消えた 途端

それが 外側に現象となって
現れたのと同じ時間を用して
外側の現象も 消えて行く。

「 内面の中で 問題が生じた時
その問題に 打ち負かされるべし
それが 心越えたるところの
無限の空(くう)に出逢う道。

空(くう)の中に 消え失せる あなた
その時 命 贈られる事の
喜びに 身を震わす
そして あなたは 空 」

あなたの 内側で
自分にも 他人にも 周囲にも
状況にも 一切の変化や
望みを求めなくなって

そこに 
身を置き切った時に。

始めて
そこに 今ここがあり
真の 内面変化が起ってくる。

そして
除々に 外面の変化が始まってくる。

ところが
あなたは 常に
自分にも 他人にも
周囲にも 状況にも
変化や 望みばかり求めているから

今 ここをも
受け入れられず
常に 満たされない。

そんなあなたに
内面の 変化が起ってくるはずもない。

そして
それなしで 外面変化を求めるから
いつまでたっても
真の変化も
そこからの脱却も出来ないで
それが 悪足掻きに
終ってしまう。

それどころか
その事自体で
何もかも ぶち壊しているのに
気づかない。

今に 満ちたりてごらん。
足りないものなど 何一つ無いのに
あなたが 勝手に
足りなくさせている。

そして
あなたが この気分を
なんとかしてくれと 言っている。

私に
どうする事ができる?
あなたが それに気づくだけでいい......。

いかに
起こる物事の
邪魔をしない様になるか

ただ
自分の本性に
目覚めるだけで

その一切が
なされているのに
邪魔をし続け
のた打ち回って来た
自己の発見となる・・・。

その時
すべては そのままであるのに
一切がなされ
流れ続けている事に
目をみはる




















★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に NO3★ 


◇あなたの愛は偽りだ・・・
    あなたの内面に広がる 
       大いなる穴「空」(クウ)◇

愛......まずこの言葉に
あなたが つけてしまっている観念や
あなたの 体験によって
つけた感覚を 捨ててほしい。

何故なら
あなたは あなたの愛は 知っているけど
あなたの 体験した愛は知っているけど
それが イコール
本当の 愛かどうか・・・?

10人いたら
10人の愛が 微妙に違うし

たとえ 大まかに見て
10人の愛が 共通していたとしても

たとえ
世の中の人達全員の
愛とやらが 共通していたとしても

そんなものには
騙されない事・・・。

だって
そんなものには
何の根拠も無いのだから。


あなたは
何をしているかと言ったら

根拠の無いものに
根拠を求めようとしてしまっている。

あなたの
たった ひとつの根拠
それは
「 だって 皆が そうしているし
それは 正しいって 皆が言っている 」

こんなものは
根拠でもなんでもない。

だから
絶対数の多い
数の上での正しさは

5年 
10年したら
ひっくり返える
それは 真実じゃない。

真理は 
10年 経とうが
100年 経とうが
変らない。

これは
何も愛だけに
限った事じゃない。

すべての事に対して
あなたは あなた自身の
解釈を してしまっていて

そして
理解してしまっている気でいる
だから 本当は何ひとつ知りやしない・・・。

ギリシャの哲人 ソクラテスが
「私が知っている ただひとつの事は
私が 何ひとつ知らない事を 知っている」と言って
気づいていた事は

私は
今迄 あらゆる物に対しての
私自身の解釈を 知っていたのであって

本当に あらゆる物を
知っていた訳では 無い事に
気づいたと 彼は言っている。

これが
第一番目に理解されなければ
この後に 起こる 沢山の事を
理解するのは 不可能だ・・・。

私が
話す事の 一切を理解するには
最低限 此処までは必要だ。

もしも
私の話が
理解しづらいとしたら

まだ
あなたは
始めの第一歩が
理解できていないという事になる。

あなたは 
あなたの解釈を通して
物を見ようとするから

歪んでしまって
あなたは その物を 
見る事は出来ない。

そんな歪みきった物は
世の中の どこを探したとしても無いよ
それは 無い事だけに気づいたらいい。

それは 
あくまでも その事に対する
あなたの解釈なんだと言う事。

そして
あなたは そのただの解釈を
知っているだけなのだと言う事・・・。

その
解釈を
取ってしまったら

あなたは
何ひとつ
知りゃしない事に気づく。

そこで
始めて
あなたには
物が見えてくる・・・。




そして
解釈と言うのは
過去の知識や
体験を通した時に
起こるものだと言う事を
理解しておきなさい・・・。

だから
過去の知識や
体験を通さずに見る事。

たとえ
世の中の人達全員の意見が
考えが 見方が 共通していたとしても

その
世の中の人達全員が
間違っている事だって有り得る。

内側で
なにかしら
不安定だからと言って

外側に
確かな物を
あなたは 求めたがるけれど

それ自体 間違いの基なのだ

外側に 
基準や 定儀を
見いだそうとしたり
作り出そうとしたりしないこと。



それを
して行くと
最初のうちは それが自我(エゴ)の
つっかい棒になって
安定感が来るけれど

その
安定感は 偽者だから
やがて 倍の不安が襲ってくる。

そして
今度は もっと沢山の
その不安に負けない

基準や 定儀を
仕入れ 掻き集め
前にも増した 大偽者の安定感を 作り出す。

当然 
長続きなんてしないどころか
大偽者の 安定感を
打ち負かすほどの 不安が
またもや襲ってくる。

延々と 旅は続く
これも 終りなき旅だ
遥かなる 追っかけごっこ。

この旅の 
仕掛人は あなただ
張本人は あなたなのだ。

真理に目を背け様とするあなただ・・・。

だって 
真理こそ あなたなのに 忘れられる訳がない。

目を 背けたままで
いられる訳がない・・・。

この 
成長課程を経て
1人歩きを し始めると

この事が
とても嫌になる時期がくる。

出来るだけ遠くに 
逃げ出したくなる・・・。

それは
遅かれ 早かれ
誰にでも 起こる。

そして 
今が 調度 その時期に
当たっている人が 何人かいる。

そういう人は
とっても この事が嫌だろうし
うんざりだろう。

あなたは
あなたが 今したい事
やりたい事を 迷ったりしないで

内側で
そうしている自分を
責めたりなんか しないで


力一杯
その思う方向に
進んだら良い......。

その内
帰って 来たくなる時が来る。

だって
それは あなたなんかじゃないんだから
きっと その事に気づける時が
自然にやってくる・・・。

その逃げ様としたり
目を背けようとする事が

不可能だと言う事実に
辿り着く時

あなたは 
それ自体が
それ自体こそ
あなただったと気づく。

あなたは
真理以外の
何者でもないのに
その事実から 逃げ様として

それも 
本来の自分自身から
逃げ様として生きて来た
誕生してからの
一切の日々が
馬鹿馬鹿しく見えてくる・・・。

決して
出来る筈のない事に
挑戦していた日々

そして
それに負けきった日

外側の
ポーズなんかじゃなく
内側から完全に
粉々に負けきった時・・・。

あなたは
最初から 真理だった事を
ずっと以前から それ以外の
何ものでもなかった事に 気づく。

そして
此処に 帰って始めて
恐れる必要など
何も無かったと 理解する。

空(くう)とは 真理であり
あなた本来の姿だ。
これは 絶対に言い切れる。
あなたは それ以外の何者でもない。





















★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に NO4★


◇愛するがゆえの背伸びが
     あなたに もたらすもの◇

まず
気づいて欲しい
大切な事は 愛と言う言葉に
あなたが あなたなりの
味付けをしてしまっているとしたら

私の言葉は聞こえず
その味付けを通して聞こうとしてしまい
その味付けに照し合せ
味付けに合うものだけを 取り入れ
合わないものは 入れない

私の話を聞いている間
あなたの中で 
何が起っているかと言ったら 
一生懸命 照し合せごっこを
してしまっている事になる。

こうなったら 
私の話は あなたの観念を
より強固にしてしまうだけになってしまい

私の話した話しが 
伝え様とする事など
いつも取り逃がす事にしかならないどころか 

あの話は 良かったとか
あの人の言っている事は
理解出来るだのと言って

日常の中に
その より強めてしまった観念を
持ち回り
それに 照し合わせ

いや ちょっと違うだの
やっぱり その通りだのと
気分の アップダウンが
相も変らず 続く事になる。

自分の観念
言葉からくる 言葉に対して
味付けしてしまっている観念を
ちょっと 捨ててごらん
そこに愛の入口が見えてくる。

愛などと言ったら
何にか知らないけど

胸が高鳴ったり
胸が躍ったり
はたまた キュンと 
胸が締め付けられたりする

そんなのを
一切捨ててごらん。

あなたは
まだ愛など知っちゃいない。

あなたは 
あなたの愛に関する考えを
自分の愛に対しての
物の見方を 知っているだけだ。


あくまでも 自分のだ
本当のじゃない。

この世にある 
唯一の道 自然達観は
極々 まれに起こるけれど

その道は
愛に添っている
愛イコール理解
愛とは 理解を言う。

それも すべての理解
全面的な理解
大いなる理解

解釈じゃ 駄目だ
解釈は あなたが入っている。

あなたの知識
あなたの体験
あなたの 過去が入ってしまっている。

それでは
真の理解は起こらない。

理解とは
そうした一切が入らない
いわゆる あなたが あなたと思って
しまっているものは 入らない。

それを 超えている。

もしも
愛が本当に
起っていたり

あなたが言う
愛と言うものが 本当のものだとしたら

もう
とっくに
あなたは この事に辿り着いて
しまっている。

何故なら
愛だけが 
この事に辿り着ける道なのだから。


あなたが言う
愛においても
部分的にではあるけれど
これは起っている。

部分的にでも 
理解せずには
愛は 起らないからだ・・・。

何故
部分的かと言うと

自分にとって
都合のいい部分には
全理解を傾けるが

白分にとって
都合の悪い部分には
まったく 理解を傾けない。

だから
全体なる理解をした事がないから
部分的にしか 愛は起こらない。

ところが
部分的にでも 甘美なものだから
これに酔ってしまう。

そして
この段階で
私は 彼を愛しているだの
彼女を 愛しているだのとなる。

本当は 
何が起っているかを
理解する為に
「私はあなたを 部分的に愛しています」と
言うべきなのに...。

そして
ここまでのことが
どんな愛でも
我欲の愛でしかない

どんな愛でも
必ず崩れる運命になっていると言う
理由である。


何故なら
あなたの理解している部分だけしか
相手に無いのならばいい。

だが
実体は違う
むしろ あなたが理解している部分の方が
ほんの一部に等しい。

ほんの一部に等しいのに
あなたは 全部解ったつもりでいる。

そして
相手もそれに気づいているから
それに 応えようとする。

ここで
愛を無理矢理
作り出してしまっている。

自分の
行為行動は
ふりでしかない 演技でしかないと 解りながらも

この甘美な気分を 
逃したくない
この気分は 相手によって
もたらされた物だから
その相手を 失しないたくないと言う感覚も手伝い
あなたの理解した ほんの一部に
自分を当てはめ 演じ様とする・・・。

これは 
何にも男女の問柄だけではなく

会杜の 上司に対して
上司のお気に入りの部分が
なんとなく理解出来ていて
その部分に
自分を当て嵌め様とする。

最初の内は良いけれど
だんだん あなたは苦しくなってくる。


すると どうだろう

あなたは
自分の判断によって
そうしたはずなのに
何にも そうしなくても良かった筈なのに

そうさせたのは あいつだと
その相手に対する憎しみを
あなた自身の中で 育てて行ってしまっている。

それが
いつ爆発しだすのか
それを見ている第三者の
私の方が 余程 恐い。

そして 
それが だんだん
大変になってくる。

我ならぬ我
絶対的に 手に出来ない
偽わりを求めて歩く。

最初から 
結果は明らかだ。

そして
誰一人 
そんな事をあなたに
強制する事など不可能なんだよ。

しかし
にもかかわらず だんだん愛など
後かたもなく消えて行っているのに
まだ 愛が有る振りをする・・・。

これを すればするほど
愛など 自分の手で
壊して行ってしまう。

だって 
振りだと言う事ぐらい
誰にでも解るし
この振りをさせている対象者を
あなたは もっと憎むし
凄まじい 憎しみを 
見せない為の振り。

これは
もう悪循環であり
すべてが 破壊以外の
何ものでもない。

そして 
壊れてしまっているのに
それを見ず
それから目を背けてしまっていると・・・。

それらを 忘れる為
そこで 傷ついた我が身を
癒す為の
別の愛が 欲しくなる。

しかし
最初と同じ道を 通っている事に
本人は気づかない。





















★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に NO5★


◇シンプルな事実◇

私が本当に伝えたいのは
昨日伝えた そんな愛ではなく。

全面的な 理解
すると 必然的に やってくる信頼
またもや 必然的に やってくる時の この愛。

例えば
私が 1人の人を 愛する。

その時 
全存在を
かけた愛ならば

部分的な
愛ではなく
全面的な 愛ならば
私は まったくの別人と化す。

その
愛した人が 私
そして 私が その人に成ったなら
一挙に 此処(真理)に
到達してしまう。

けれど 
人は そうはしない。

その 
変わりに自分で
自分を騙す様な 小細工をしてしまう・・・。

外側では 
全面的な愛の様に演じて・・・
表面的な部分では そうしておいて
 
自分自身の 
その外側の
振りの 演技の部分を見て

自分は 
愛している
自分は 全面的に 
愛しているんだと思い込む。 


それは
まだふりでしかない

では
その事に
何故 気づきにくいかと言うと

この
外側と言うのは
普段の思考領域ほど
外側ではない。

調度 中間点
この奥に 一番の奥に
本人には まるでご存知ない

無の領域
空の領域がある・・・。



普段の 
日常の生活で
人と接している時の
がっちりと自我を守っている
一番の外側の部分に 比べたら
この中間点は 内側に属する。

ところが
本当の内側ではない

一番外側に比べたら
ずっと奥に入っている。

だから
それはまさに 本当の事
内なる 叫びの様にも聞こえる。

その声に 
忠実に従がうと
皆の言う所の 愛は起ってくる。

この中間点の
心と言う部分に 従がって行けば
それが起こる。

そして
これを愛と 思い込む
それは 部分的な 愛でしかない。
我欲愛 
利己的愛でしかない。

何故なら
これでも 巧妙にコントロールできる
範囲が 残っていて
人は それをちゃんとする......。

何もかも 
全部 その場で捨てられる事。

持っているものの一切
手の中に 握っている一切だけを
捨てるんじゃない

その手が
ついている
自分自体をも捨てるという感覚だ。

一挙に
そうした時に
それは 起こってくる。

その時
全面的な愛
コントロールも 何も効かない
生まれて初めて
体験する本当の ひとまとまり。

ひとつの考えが
こっちにあって
もうひとつの考えが あっちにあると
言う様にバラバラじゃない。

その バラバラの考えの
出て来たところまでもを 捨てた
まったくの無 何にもない。

今までは
あっちにあった考えが
こっちの考えを
こっちの考えが あっちの考えを
と言う様に

考え自体が
考え同士を
互いに縛り合って
押したり 引いたり
コントロールし合っていた

その考え自体の
出て来たところまでを拾ててしまうと
もう 全面的に違った人になってしまう。

これが愛!
あなたは 
どの考えでもなかった事に気づける。

そして
あの内なる叫びは
満たされた事のない
考え自体から出ていた。

そんなものに
中間点に合わせていたなら
狂って来てしまう

だから
人はそれが恐くなって
中間点である この心から
また 一番の外側である頭の領域に
戻ってしまう・・・。

本当の愛は
この中間点を達し 一番の奥の
「空」の領域に出た時起こる。

それはもう
誰を 愛すというものじゃない
その人の前に来た人なら 誰でも愛す。

選ばない
特別な人は 居ない
ひとたび 空の領域に出たら。

そこに 
溶け去ってしまったら
それは 愛の塊りになってしまう。

理解の塊
信頼の塊
受容の 塊りに成ってしまう。

「空(くう)」 空(から)だったら
その中に 吸い込まれえる。

それは
ひとつの引力だ。


何かしら在ったら
それ自体が 邪魔をして
入いる事は 不可能だ。

本当の 
愛が起こっていたら
「空」になる。

1人の女性を愛したら
私は その女性であり
その女性は 私となる。

もう 
ふたつではない 
ひとつだ 一体だ
これは 何も 人問だけにじゃない。

仕事を
している時は 仕事だ
これで 一体になれている。

「仕事をしている人」だとしたら
「仕事」と「仕事をしている人」
そのものと 自覚の ふたつになっている。

駄目だ
自覚が邪魔をしている。

御飯を 
食べている時は 御飯
御飯を 食べている人じゃない。

酒を
飲んでいる時には 酒
常に ひとつだ そこに自覚など 無い時

それを している時は
それと同体で 
ひとまとまりになれてしまう。

だって
「無」は「空」は 何にでも成れる
どこか一ヶ所に固まって
それを持ち運んだりしたら
バラバラになってしまう。

対象物は 
人だけじゃない
それと いつでも同じに成れて
そして違う。


すると
ただの「空」なんかじゃない
100% 常にそこに生きられる。

今 
起っている事の中に
何ひとつ 持ち歩かない。

いつも 
空(から)っぽで 流れていて
そして 満ち満ちている。

自由だ。


自由と言うのは
こちらは その対象となるものに対して
執着しない
執着したくても 出来ない
どっちでも いいと言う事。

無選択だ 
選ばない
あちらが 選んでも
こちらは 選ばない。

だって
「空」に 到達する以前に
真理となる以前に

そんなものは
全部 放棄してしまっているのだから。

ここで
選ぶ事をしたり 執着したら
あなたは まだ空に至っていないという証拠だ。

すると あなたは
そんな事をしていたら
愛は壊れてしまうと思うだろ?

違うよ!
愛は 理解なしでは 起こらないし
理解は 自由を与える。

もしも 
縛られていたら
発散が 必要になる。

自由じゃないから
自由が欲しいし
自由に したくなる。

もし 自由でいたら
自由に したくなどならない。

だって
自由なのに
自由にしたり したかったり
する必要も 訳もない。


それを
山にたとえると......
ひとつの山を 征服するのは 難しい。

とても
出来るものじゃない
人とは 調度 この山の様なものだ。

あなたが
ひとつの山を 征服したかったら

あなたは 
まず 
あなたと言う山を
征服しなければならない。

その山さえ
征服していなければ
他の どの山も征服する事など 不可能だ。

あなたは
あなたと言う山の一部分
ほんの 表面を征服しただけ
理解しただけだと言うことを
理解しなければいけない・・・。

そうだとしたら
他の山の理解も
多分 表面だけの事だろう。

山の表面を 
見ていてごらん
コロコロ変わる
まるで カメレオンの様だ。

季節が来ると
緑が青く
また 
季節がくると 茶色に

そして 
無くなる
あなたは 山なんか 理解しちゃいない
それは 葉っぱだよ 山じゃない。


人で言ったら
それは その人の考えだ
それも その人の あるひとつの考え。

その人なんかじゃない。

それは 木だ。
それは 土だ
それは 岩だ
それは マグマだ。
山なんかじゃない 山が消えてしまった
と 突然 山など どこにも
無かった事に気づく。

まったく
無かった
色々な物の集合体を 山と呼んでいた。

あなたも同じく
色々な考えの 集合体。

それが それ自体で
あなたと言う感覚を あなたに与えていた。

あなたなんて どこにも居なかった
辞書で 空というところを
引いてごらん......(空こそ あらゆるものの
本来の姿であると言う 仏教の基本的な考え方)とある

これは
考え方なんかじゃない。

真実だ
ブッタは 遥か2500年も前に
現代科学がやっと
辿り着こうとしているこの領域に

内観と言う
自己の内側を見る方法を使い
やすやすと見破ってしまっていた。

あらゆる
万物の本未の姿は
「空」だ
これ以上の真実は どこにもない。

私は
この真実を通過して
あらゆる万物の 源に帰りつき

それと 
一体だという所まで
まずは あなたを連れて行きたい。

この地点で
始めてあなたは あなたを
そして それ以外のものを 理解出来る。

愛が起こる
無と無
実体と 実体の結びつき
虚飾なるものは 一切含まれていない。

だから 
壊れうるものは無い
何もない空と空が 触れ合い
そこで 無くなる物が
何か有るだろうか・・・?

何も 無くなりはしない
無くなるものなど何ひとつ無いのだから。

そして 
終りなき愛が起こる。
空間は 広がるばかりで 終らない。


終りなんて無いんだ。


永遠の愛
永遠の理解
深まる一方だ 止まらない。





















★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に NO6★


◇あなた という真実・・・◇

あなたの
今迄に体験した愛と来たら

必ず 
終ったり 色褪せたり
苦しみが 横たわっている。

そんなのは
愛とは呼ばない。

それは
支配ごっこと呼ぶんだ。


さらに
深くこの事を説明しよう。

例えば
型で全部 
捨てろと言っている通りに
私は 捨てた事はあるけど
何も 起こらなかったと
言う事だって有得る。

だって 
もう そろそろ
捨てたくなっていた時期
それに 嫌気がさしていた時期であったら
難無く それは捨てられる。


けれども
それは捨てたんじゃなくて
厭きたんだ・・・。

だから
直ぐに 次のを
掴もうとするじゃないか!。

本当に
何かしら変化するのは。

満足していて
まだそれを 捨てたい時期では 無いのに
捨てた時だ・・・。

そして
変わりのものも
何にも掴もうと しない事


皆の 
愛している時や
愛し始めの前後を 見てごらん。

必ずや
何かしら
悩んだりしている時で 在ったり

何かに対して
嫌や気がさしている時で 在ったり
何かしら 心が 空虚になっている時だ。

特に 
愛など 理解など
起こり得る筈の
ない時に 愛が起っている・・・。

だから
それは愛なんかじゃないんだ
なにか別のもの・・・。

それによって
苦しさが 誤まかされ
なにか 満たされた感覚が起ってくる。

それは
満たされたんじゃない!
誤まかされたんだ!

自分に
自分が誤まかされた・・・。

右を向いていたのが
左を向いたら
右に見えていたものが
無くなった感じがした。

そう
右に見えていたものは
今 あなたの目の前には 無いよ・・・。

だって
あなたは 左を向いているんだもの。

左を向いたことを
忘れてしまっているだけだ。

だから
そおーっと 右を向いてごらん

まだ それは 
そこに ちゃ〜んと在る。

それも 
以前より ひと回りも
大きくなった 感じがする。

そして
又 慌てて 左を向く
こっちの方がいい。

また 
右を向く
前よりも 今度は ふた回りも
大きくなっている。

左を向いて
前より その愛とやらに
もっと のめり込んで 酔ってしまわなければ
とてもじゃないけど
あの恐さは 忘れられない.........と

丁度 こんな感じ
これは 愛とは呼ばず
逃げと呼ぶんだよ・・・。

だから
この逃げ込む度合が
強ければ 強いほど
逃げ込んだ 対象物に対する
執着は 凄まじい。

だって 
それが 無くなったら
と 考えただけで 震えてくる。



だから
相手を殺してしまう事さえ
しかねないし

現に 
これは起っている・・・。

そして
この対象物は
何も 人間だけとは限らない。

お酒の場合だって
賭け事の場合だってある。

じゃあ
このとっても恐ろしいまでに
でっかく 成ってしまっている
右を向いてみよう・・・。

愛とやらに
逃げ込ませた張本人!

それを させてしまった
強迫観念の 基を見てみよう。

そう 
何かしら
悩んだり 嫌気がさしたり
心の中が 空虚に成っていたりした あの時

一体 
何が起っているのかを
見てみると・・・。



それは
ずっと以前から
あなたが まだ幼かった頃からの
根強い経験だ・・・。

これは 一体なんだろう?

あなたに 
こんな体験が 無いだろうか?
何かに 夢中に成っている時には
何も感じないが

その 
夢中になっている状態は
いつまでも続かない。

同じ事に対して
いつまでも夢中になっていられる訳もないから
当然 その夢中な状態は 去って行く。

と そこに何か
大きなポッカリとした
穴の様なものが開いている感覚がある。

そこから
空虚さや
むなしさが 吹き上げてくる。

そして 
何かしら
もの淋しい感覚さえある。

一体これは 何だろう?
絶対なる孤独感・・・。


ここで
「 やはり人間は 1人なんだ
生まれてくる時にも1人だし
死ぬ時も 1人なんだから 」
などと

そこら辺の宗教みたいな解釈を
してしまって 固まらない事

そこは 
通過点であって
まだ途中だ
終点じゃない・・・。

それは
今急に もたらされた感覚じゃない。
ずっと遠い昔から
そこに在った。

そして
いつも何かに夢中に成っていたり
動きを起こしている 時には

それは
そこに無いが
その夢中や
動きが止まった時には

いつも
そこに姿を 現してきた。

そして
それを 無くそうと
そのポッカリと開いた 
大きな穴を埋め様として

あらゆる 
あれや これやを
やって来た。

ところが
埋っていると言う感覚がある時は
いつも 何かしらやっている時だけで

それは
本当には
埋っちゃいなかった・・・。



これこそ 
大いなる穴
その穴こそ 空(くう)に繋がっている。

その穴こそ 真理
その穴こそ 全存在の源に 繋がっている。
そして その穴こそ あなただ。

真のあなたを 
埋めよう なんて馬鹿げている。

その穴は
あなたが 入って来るのを

いつか 
あなたが気づいて
入って来てくれる事だけを
息を 潜めて じっと待っている。

なにも
怖がる事はない
私は 事実その中に入っていった。

そこに入ると 私に会える
始めて 出逢える
おいでよ!

そして 
宇宙にも これと似た様な
現象があると言う あのブラックホール
その穴は 直径なんと3千万kmも有るという。

あなたは 
小さな宇宙だ
精巧にできたミニチュアだから

あなたは 
あなたを
本当に全部 理解したら

あなたは 
宇宙を理解してしまった事になる。

そして
ロケット無しで
まだ 人々の未知なる世界までをも
理解してしまう事が出来る。

最後の最後の
此処に来てからでなくては
本当の愛は 起こらない。

全存在を愛す
全存在を 理解できる事は
不可能だ・・・。





くれぐれも
言っておきたい。
その 埋まっちゃいない穴
それを 埋めようとする事自体
無理なんだ!

だって
それは あなたと 宇宙が 
あなたと 真理が 繋がっている
架け橋なんだよ。

それは 
埋められるものじゃない
だって それこそ あなたなんだ!

それこそ 
あなた本来の姿なのに

それから
逃げようとしたり
埋めようとしたりしていた あなたの方こそ
あなたじゃないよ・・・。

そんな事に
労力を 費いやす人生は 馬鹿げているよ。
一生を無駄にしてしまう・・・。

その
あなたの方こそ 偽者だよ。
解かったかな・・・?























★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に NO7★


◇あなたの超えられない流れを
        超えた時 そこに道は在る◇

先日 
すべての成長過程を 終了した
ある女性に 電話をした。

その女性は
結婚していて 
御主人以外の男性との交際に
悩んでいた・・・。

悩んでいると言う事は
悪い事をしていると
本人が 薄々 気づいている

問題は
異性との交際にある訳ではない。

彼女は
悪い事をしている
自分自身に 悩んでいた。
それも ず〜っと長い事。

成長過程の終了時に 
どうしたらよいか

そして
このまま続けば
どうなるかを伝えたが



彼女は 
それを実行できずに
以前と 同じ事を続けてしまっていた。

イヤ そうじゃない
正確に言うと 1度は実行した。

ところが 
それが失敗した。
彼と 別れなければいけない
これは 悪い事なのだと
自分に言い聞かせ 抑圧してしまった。

これを すれば お仕舞いだ
それは 抑圧すればするほど
以前と 同じ方向に歩きたくなる。

そして
それではいけないと
さらに抑圧する。

どう言う結果に なったと思う・・・?

簡単に
元通りに戻ってしまった。
いや 戻ったのではない。
自ら 戻してしまったんだ・・・。

私は
半年の間 
静観していた。

何故なら
私が それに 何かを言えば
余計に 火をつけてしまう事を
知っていたからだ。

そして 
彼女が呼んでいる様な
気がしたので電話をした。

30分位 彼女と話しただろうか
彼女は こんな事を私に言って来た

「 先生は 私に話しているけど
それは 本当に心から言っているんですか
私には そう感じません 」

これには まいった!

彼女は 
私に「心から言っていない」
と 怒っている・・・。

その通り
私は 心で 
ものなんか言っていない。
ズバリだ!

しかし
本人は自分が 
何を言っているのか
解かって話していない。

彼女が 私を
「心から言っている」
と受け入れてくれる答は
ただ ひとつしかなく 
それを奥底で決めた上で
話をしてしまっている。


そんな事ぐらい
私には 簡単にできる
彼女の望んでいる答が
私には見える。

それを言えば 彼女は

「 やっぱり 先生は私の事を
解かっているのね 」
と 喜ぶ

馬鹿馬鹿しい・・・。

彼女は 
自分と同じ考えを言えば その人は
「心から言っている」と思ってしまっている。

そうじゃない人は
「心で話してない」とくる
確かに あなたにとっては その通りかも知れない

だが
あなたは何様なの・・・?
あなたが さも正しさの基準の様に
なってしまっている。

此処で
生きれば
人は やがて離れて行く。

それは
必ず起こる
あなたが それを起こさせる。



そして
私は彼女に こう 尋ねた。

「 あなたは 心から言っているのか? 」
彼女は 自信を持って答えて来た。

「 私は 心から話しています
いつでも そうです。
先生みたいに人を試す様な
言い方をしません。
だから 嘘なんて言っていないし
それを言ったら 心が空っぽになるし
全部 吐き出しています 」

私は 
これを聞いて ガックリした
彼女に言った。

「 まだそんな所で生きているのかい?
心なんて無いんだ。
それは 過去の体験の 集積場所だよ。
過去の記憶だよ 過去の体験の記憶だよ。
実際には もう今は 無い!
そこで あなたが 話をしているとしたら
私は 誰と話しているんだい?
私は 昔と話をしている・・・。

話し相手が 居ない
私の話し相手が その場に居なくて
目の前には 昔がある。
もう 有る筈の無い昔と
どうやって話すことが出来る・・・。

そして
そこにいたら
未来は過去の繰り返えしでしかない。

もうひとつは
そこは 本能の次元だ
心とは 動物の次元だ
あなたは 動物の次元で
生きているんだ 」

そこに 居たら あなたは以前と
同じ繰り返ししかできない。

自然的生の次元が心だ。

「 私は 心から 」などと言っている
あなたは
「 私は 本能で生きています
過去と 共に生きています 」
と 言っている。

その女性は
「 じゃあ どこで生きたらいいのか
教えろ 」と言う。

口で言って伝わるならば
もう とっくに伝わっていて
良い筈だ。

私は 何度も 何度も
繰り返し言っている。

私が
口を開けば
そこに関する話しか出て来ない。




それは
社会的生の次元 (頭・理性・道徳・建前) とも
自然的生の次元 (心・本能・感情・本音) とも同化せず。

それに
真に さよならを したと同時に
あなたは そこに在る。

彼女の
話しの中にあった通り
心から言っている時

「 嘘なんて言っちゃいない
それを言ったら 心が空っぽになる 」

私は 
あなたが 嘘を言っているなんて
思ってなんかいないよ。

ただ
何にかの考えと ひとつになっていて
それが 心の中に有るとしたら

もう
あなたは
その考えになってしまっている事を
問題視 しろと言っている。

「 それを言ったら 空っぽになる 」

そう その言った後に残る
その 空っぽさこそ
あなただと 言っている。

その空っぽさから 逃げたら駄目だよ・・・。

ところが
あまりの一瞬の 短かい時間しか
その空っぽさが そこにない為

あなたは
それを認識できないでいる。

それを
認識しようとしてごらん。

それは
あなた以外に
やってくれる人はいない。

私は
あくまでもヒントしか言えない。
実行するのは あなただ・・・。

ヒントでしかない

私の話しを聞いて
それに 浸っていたり 酔っていたり
そこで 満ちたりた気分を
味わっていたりしたら

いつまでも いつまでも
あなたは 私を必要とする
私は あなたのお母さんじゃない。

第一 
そんな事を
し続けている以上

あなたは
前のまんまだ
少しも変らない。

それどころか
知識が増えた分 言い訳が巧みに成る

私は 
あなたを以前より
ずっと 生意気で 厄介な人物に
する為に 手を貸してしまった事になる。

あなたは
いつまで私を
先生 扱いする
下らない関係を続けるつもりで
いるのだろう?

あなた次第で 
いつでも出逢いは
可能なのに・・・。

私は
あなたと友達になりたい
それも 最高の友達になれる。

それは
私が良いからとか
あなたが 良いからといった
問題ではなく

私の言う 出逢いが
そう言う性質を 持っている
言葉で とねさんと呼べる様になったとか
成らないとか

そんな
くだらない 型上の事じゃない。

それは 私の空っぽさ と 
あなたの空っぽさ の出逢いだ。

空間と空間は
簡単に
一体となって
ひとつの空間に成る。
それは まったく新しい出会い方となる。

それを 
私は待ち続けている。

私の内なる声が
あなたに 届かないだろうか?





成長過程を 
思い出してごらん

私が その中で 
ヒントを言う 何か話す

それを聞いて 
ただ話しに酔っていたり 浸っているだけで
あなたは 何にかに気づくだろうか?

そうじゃない
あなたが それをヒントにして
あなた自身を 見つめる事を 
実行した時に 何かが理解出来た。

今は
もう 成長過程が終ったから

ただ話を聞いて
静かになったり
満たされるから それでいいのだろうか?

あなたは 
それ程
立派になって しまったのだろうか?

私が
知りえた事を 聞くだけで
本当に あなたの成長はあるのだろうか?

ひょっとしたら
私が あなたに話しているのは
ヒントではないだろうか?

ヒントとしての話しだけを
ただ 掻き集める事をしていたら
それは あなたの知識にしかならない。

私は 
知識を伝えたいんじゃない。

なぜ
そんな馬鹿げた事をする?

あなたは 私のヒントを
あなたの成長には 役立ててはくれず
ガラクタを拾い集めている。

成長は 
知識を掻き集める事とは違う
知識を掻き集めれば集めるほど
あなたの成長は
埋もれて行ってしまうのに・・・。

そんな
あなたを見ていると
私は 寂しくなってしまう。

ところが
私には 
あなたがその気に 成れるように

成長を 
試みてくれる様に
向ける ヒントしか出せない。

成長が
必要なのは あなたなんだ。
私じゃない。


それ以上は 
私には どうすることも出来ない・・・。


逃げたり 
紛らわしたりする事は
この種の問題には
何の役にも立たないのだから。
























★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に NO8★


◇ひとつめの うねり カルマ(業)◇

何故
それほどまでに
あなた自身の成長に
あなた自身が 真剣に成って欲しいか?

それは
私に見える 
大きなうねりがある。

その
うねりを超えるには
並の人間には ひどく困難に見える。

その
うねりを
超えてしまう道こそ

あなたの 
此処に至る
内面成長をおいて 他にない・・・。

その
うねりとは
生において 最も大きく

多大な
障害となって
あなたの中に 影を落とす
カルマ(業)・愛・セックスだ。


あるいは
性欲・愛・カルマ
と 言ってもいい。

すべての 問題は
この 根本原理に根ざしている。

この
根本原理に
メスを入れる話しをするが 

今から
話す話しは あくまで 
私が看破(見破る事)したことだ。

あなたは 
この話しを
聞いていて
揺さ振られたり
頷ける所があったら

それを 
誤まかさず
自らも 内側の目を使って
あなた自身のことを 看破する事。


それを
する事に 
成長がかかっている。

私の話しは 
あくまで
あなたの成長を促す
ヒントにしか 成らない。

それを 
ヒントで終らせてしまうとしたら
あなたには まったく
成長の見込みはない。

だって
そうだろう
私は 私の看破したことを話す。

あなたは
ただ聞くだけで
それを知識として
取り入れたとしても

もう 
まったく別のものだ
そこには 大きな隔たりがある。

あなたも 
あなた自身の
それを 覗き込んだ時に
初めて 私の言っていた意味が 理解できる。

私は 
それを あなたにして欲しい
私の話しを 聞いてほしい訳じゃない。

私の話しだけ
聞いていたって
あなたには きっと 
いつまでたっても
本当の私の声は 聴こえない・・・。





あるテレビの ドキュメンタリー番組で
「ゴリラの生態」を 放送していた
ゴリラの 出産シーンを
カメラに収めようと制作された番組であった。

この中に 
二頭のゴリラの
出産から哺乳
育て方が 映し出されていた。
それを見て 私は ショックを受けた。

一頭のゴリラは
出産すると 赤ちゃんを
綺麗に舐め回し

すぐさま 
彼女自身の乳房に
そっと あてがい
大切そうに 母乳を飲ませ
係員を 安心させた。

そして 
その様子は
人問の それと まったく変らない。

目ヤニを 取って上げたり
鼻を取って上げたり

そして 
抱いて背中を軽くたたいて
あやす(ヨシヨシ)を して上げる仕種まで

人間の
親子の姿 そのままであり
その姿は 見ている私達を ほのぼのと させる感じすらした。

ショックを
受けたのは この後である

二頭目の
ゴリラの出産が 始まった。
出産は
無事に済んだ。

ところが
母ゴリラである彼女の様子が
どうもおかしい。

彼女は
赤ちゃんに構わず
出産の時の血液を 舐め回したり
胆盤を食べたりと
自分自身の後始末ばかりしている

前のゴリラは 
そんな事よりも
赤ちゃんに 係り切りで

自分の 
後始末をしたのは
赤ちゃんの
哺乳が済んだ後だった。

それなのに 
彼女ときたら
自分の後始末が終りかけて

始めて
気がついた様に
傍に置いてあった赤ちゃんを
舐め回し すっかり綺麗にした。

だが 
その後も 
ただ 抱いているだけで
そして その抱き方も
非常に 危なっかしい。

まるで 
オモチャを 悪戯する感じだ。
いつ 押し潰されるかと
ヒヤヒヤしたほどだ・・・。

そして
肝心の哺乳をしていない。

お母さんの彼女が
乳房にそえない限り
まだ 目の見えない赤ちゃんゴリラには
哺乳を受ける事ができない。

母親の介在があって
始めてそれは 可能だ
時間は 刻々とすぎる。

だが 
彼女は 一向に 
哺乳しようとしない。

それどころか
赤ちゃんゴリラを
ただ 遊ぶ対象物の様に扱い
あやす仕草を続けるばかりだ。

係員は 
出産後 四時間という
ギリギリまで 彼女が 哺乳をする事を待ったが

赤ちゃんゴリラが
このままでは 危険だと言うことで
人間の手により 哺乳をするという
措置に 踏み切った。


何故 
四時間も待ったのかは
ちゃんと理由があった。

人問が そこに介在し
哺乳をしてしまうと 

その 赤ちゃんゴリラも
又 同じ様に哺乳も出来ず
子供を育てる事が
出来ないゴリラに 成ってしまうからだった。


そして
この母ゴリラは
人間の手によって 
哺乳を受けたゴリラだった。

人間の手によって
育てられたゴリラの場合 
何故それが 不可能かと言ったら

そこには 
母が子を慈しむ
エネルギーが 流れ出て いないからだ。

ただ単に 
機械的だ
そこには 愛のエネルギーが無い。

もしも 
そこに 可愛いと思える
係員の 愛情が有ったとしても 
それは 母の 愛情とは 明らかに 違う。
愛が流れ出ていない。

そして
それとは 別の話しになるが

もう ひとつは
それ以前 何んの気なしに見ていた
テレビ番組

多分 
あなたも知っているかもしれない。
空を飛んで 木から木へ飛びうつる 
ニワトリの話しだ。

どこかで
ペットに飼われていたのが
捨てられたのが始まりで

今では
70羽近くなる ニワトリが
野性化している公園がある。

その 
ニワトリ達に 餌を与えている人の
話しによると。

ニワトリの中でも 
だらしのないニワトリと 
そうでないニワトリ がいて


その 
だらしのないニワトリは
自分勝手で やはり子育てを知らず

卵を産んだら
産みっ放しで
孵化する事を知らず

その卵は 野ざらしになる
そして ニワトリ仲間からも 敬遠され
始終 諍いばかり起こしていると言う。

その
ニワトリを良く 観察していると
おもしろい事が 発見出来たと言う。

例外なく
それらのニワトリは
縁日派だという。

この
縁日派とは 
お祭りなどの時に
道端で売られていた ヒヨコ達の事である。

あの ヒヨコ達は
全部人工孵化であり 親を知らない。
親に 育てられていない......。

この
二つの話しは
何を物語って いるのだろう?

自分の
体験にない事は
出来ないと言う 単純な事実を 物語っている。

何も 
このゴリラの ニワトリの
悪口を言っている訳じゃない。

彼等には 
どこも問題はない。
ただ 与えられた仕組みを

そっくり
そのまま 次世代に送っている。
彼女達の責任じゃない。

それ以外の
体験を していないのだから
子育てを 出来る事の方がおかしい。

つい先日
母親達に
親子のテーマで
話しをしに行って 
そこで話し終った後
こんな質問があった。

「 昔 私は ある本で幼児期に
母と密接な 関わりを体験していない人が
母親になると やはり同じく密接な関わりが持てない

要するに 型の上で接する事は 出来ても
真の母子関係が持てないと読んだけれど 
それは本当ですか? もし そうだとしたら
私には 出来ない事になるから
私は その本を読んでから 半分 諦めていたんですけど・・・ 」

その通り・・・。
それは 悲しいけれど 本当の事だ。
あなたに 体験のない事は
出来る筈が無い。

あくまでも 
あなたに可能なのは
体験している事だけだ。

事実
子供は あなたと同じく
欠陥を背負ったままで歩く。
それ以外には 成れない・・・。

そして
その流れは
その種族が滅亡するまで
永遠に続く。

終るのは 
滅亡する時以外に無い。

その流れを 
止める道は 滅亡 
それをおいて 他にない。

それが
カルマだ
悲劇のくり返し・・・。

あなたが
どんなに取リつくろって
どんな型を持ってこようが
この流れは 止められるものじゃない。

こういう
流れを 止められる力が
あなたに 有るなら 成長しなくても良い・・・。

だが
止められないと
感ずるなら 成長が 必要だ。

さっきの
質問にあった
密接な母子関係は
100万人に 1人の可能性だ。

あの質問を
して来た彼女は
心理学者の本を読んだ。

心理学は 
まだ 半分ぐらいの
領域が 見えたか見えないかだ。

何故なら
彼等は 正常と 異常を区分する。

ゴリラの
話しで言ったら
最初のゴリラ
子育てのできるゴリラを
正常扱いし

子育ての
出来ないゴリラを
異常と見る


どちらも 
本人がやっているのではなく
過去の体験が させていると言う
ところまで見ない。

過去の体験が 
させている以上

良いも 悪いも 
正常も 異常も
そこには 無い。
どちらも 同質だ。

一見 
そうした
判断を下しがちだが

良く見ると どちらも 
過去の体験から行動している。

過去の体験から
そうしているとしたら
それは 心の領域にいる。

心の
領域にいれば
カルマは どちらも受けつぐ。

心は 本能の次元だ。
自然的 生の次元だ。


最初のゴリラは
一見 良く見えはする。
愛の エネルギーは 
出ている様に見える。

だが 違う
過去の体験から 
出てくる愛
本人からではない 過去から自動的に出てくる。

形の上での
育児が 出来ようが 出来まいが
そこは 問題じゃない。

心とは
過去の体験の 集積回路だ。

そこに
チューナーを合わせて生きれば
あなたに 新たな 未来はない。

あなたは 
一見 未来に見える
過去の繰り返しの中を生きる・・・。

そして
動物達は 
そこで生きている。

あなたも
そこで生きる以上
動物達の 次元で生きている。


だから
真の母子関係は
100万分の1の可能性だ・・・。



ところが
人はそれに 
真に目を向け様とはしない。

それどころか
性欲・愛・セックス・カルマを
社会的 生の次元で 誤まかそうとする。

その 
エネルギーの向かう方向を
変える様な事ばかりしている。

それは 
不可能だ。
空中分解を 引き起こすだけだ。

そのエネルギーは
轟々と 音を立てて
動き 流れ続けている。

それは
質的変化をさせなければ
そこからは 逃れられない・・・。













次ページ







最初のページに戻る